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疎開保育園のはなし

「君たちは忘れない」が原題。

映画化されるのに伴って、タイトルが「あの日のオルガン」と改められた。映画は2月22日より公開される。

当時の舞台となった埼玉県の蓮田市では疎開保育の話の保存活動も取り組まれている。子どもらがお世話になった保育園の創始者らもかかわっていた実話とあって大事にしたいものだ。NHKの「おはよう日本」でも紹介された。残念ながら「おはよう日本」のサイトの記事は削除されてしまったようである。戦争の記憶はとても大事であり、残しておかなくてはならない大事な「記憶」だ。戦争、それは二度と繰り返してはならないものだからだ。

戦時の東京の保育園に通う53人の子どもたちが、蓮田市の『妙楽寺』に疎開した。本堂の⼤広間で、園児と保育⼠、70⼈余りが寝⾷を共にした。

「畳⼀枚に、ぎゅうぎゅう詰めで寝ていたと思う。すきま⾵だらけの本堂だったから、⼤変な寒さだったと思う」

⽗親は戦死。⺟親と妹は東京⼤空襲で亡くなりました。疎開保育園に預けられた私だけが⽣き残ったのです。「命が助かったということは、蓮⽥に疎開させてもらって、みなさんに協⼒してもらって、とてもありがたかった」

いま、創始者がはじめた保育園は、

  • みんなで創って みんなで育てる
  • 同じ床の上に立つ
  • 伝え合い保育

を大事にしている。

地域の保護者と保育者の願いが結びつき保育園は誕生した。その生い立ちを忘れず、地域の子どもたちに必要なことは、知恵を出し合い資金を捻出して実現してきた。障がい児保育、延長保育、0歳児保育、一時保育、子育て支援など。園運営とともに保育の基本として、いつもここに立ち返りながら、時々の課題に挑んでいる。

子どもは小さくても、感情を持ち、意思を持っています。大人の考えを一方的に押し付けたり、また大人が子どもに合わせるばかりでなく、共に保育園生活を作ってゆくもの同士、「同じ床の上に立って」要求や感情を共有し、考え合っていく。子どもの話を聞くとき、膝をついて子どもと同じ目線になって話す。これは保育の形式や方法ではなく、人と人との関係の在り方をめざす言葉なのだ。

続けることが大切だ。それにはその歴史から学ばねばならない。

 

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